『プラントハンター』知ってますか?

『プラントハンター』という職業がある

『プラント』という言葉には、植物・工場・発電所など様々な意味がありますが、ここでは植物のことを指します。『ハンター』とは狩りをする人。直訳すると、『植物を狩る人』です。歴史は古く、ルイ14世の命でヴェルサイユ宮殿が建てられた17世紀のころから、ヨーロッパを中心に広く存在していました。特に盛んであったのは、イギリスやオランダなどです。異国の新種の植物を持ち帰って観賞用としたり、薬などを作るために利用したり、王様に献上したりしていました。世界で有名なプラントハンターとして、ロバート・フォーチュン(スコットランド出身。中国からインドへチャノキを持ち出した)、ジョゼフ・バンクス(イギリス出身。ユーカリやアカシアなどを西ヨーロッパに初めて紹介した)などがいます。

日本は古くから園芸が盛んであったため、世界中からプラントハンターが植物の採取に訪れました。あのペリー来航時にも、プラントハンターが日本の植物を持ち帰ったとされています。

日本の『プラントハンター』

日本にも、そのプラントハンターがいます。その名前は「西畠清順(にしはたせいじゅん)」さん。兵庫県出身。1980年10月29日生まれ。幕末から続く植物卸問屋『花宇』の5代目であり、現在はそら植物園株式会社の代表取締役です。

西畠さんは依頼を受けると、日本だけでなく世界中を飛び回って探し、見たこともない植物を見付けて来ます。その数は年間2000件以上。依頼は国内に留まらず、海外にまで及びます。

『プラントハンター』としての西畠清順

『プラントハンター』になるまで

西畠さんの家は、歴史のある花と植木の卸問屋。桜の開花調整に世界で初めて成功したことで有名です。商業施設へ材料を供給したり、当時まだ珍しかったサボテンを海外から持ち帰り広めたり、独自の方法で商売をしてきました。その花宇の5代目として生まれたのですから、もちろん幼いころから周りは植物でいっぱいでした。しかし西畠さんはそのような環境でも、元から植物に興味があったわけではありません。体育会系で、植物ではなく野球や格闘技が好きでした。ごく普通の男の子ですね。

そんな西畠さんが、植物に興味を持ち始めたのは21歳のとき。オーストラリアに留学をした後、バックパッカーのようなことをして旅をしていたときのことです。東南アジアのボルネオ島で父親に電話をしたときに「ボルネオにいるならキナバル山に行って、世界一大きい食虫植物を見てきたらいい」と言われたことがきっかけでした。父親が言った、世界一大きい食虫植物とは『ネペンテス・ラジャ』のこと。ウツボカズラと総称される植物の一種です。現在は日本でも広く流通し楽天市場などの大手ECサイトでも取り扱いがあるなど、愛好家も多い植物です。自生しているのはボルネオ島のキナバル山だけ。キナバル山は標高4095m。赤道直下の高山ですので、登るまでに激しく気候が変化します。寒く苦しい山道を登った先で『ネペンテス・ラジャ』を目にして、心が大きく揺さぶられた西畠さん。そこから急激に植物に惹かれていき、帰国後に家業を手伝うようになりました。

『プラントハンター』としての始まり

最初は父親の取引の手伝いで、海外へ行って仕入れをしたりしました。父親に言われた買い付けなどをこなしていくうちに、植物を見る目が養われたり、人脈が出来たりしていきます。知識や経験が増えていき、自分で明確な目的を持って仕入れが出来るようになりました。

自分が仕入れた植物が話題になったり人気が出たりすることが楽しく、また未知の植物との偶然の出会いもあったりして、西畠さんはどんどん仕事にのめり込んで行きます。

『プラントハンター』への思い

プラントハンターはプロです。商売としてなりたたせるのは並大抵のことではありません。。そのためには植物学者のような豊富な知識が必要。未知の場所に臆せず飛び込める行動力や体力、そして精神力も必要。強い好奇心も必要。美しいものを見付け、コンディションを見極める目も必要。好きだけではやっていけませんが、とにかく好きじゃないと出来ません。

この仕事には同業他社がほとんどおらず、園芸用の巨木の輸入などはほぼ独擅場。だからこそ厳しいルールを守り、信頼を得る必要があります。

ただ植物を仕入れるだけでなく、誰も見たことのないような珍しい植物を見付けて広めたり、そこに色々な付加価値を付けたり、既存の概念にとらわれない自由な発想と、それを実現させる行動力が、『プラントハンター』西畠清順を作っているのだと思います。常に時代の先を見据えているとも言えるでしょう。